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時間はあるようでなかった(グランマとの日々その2) [Diary]

前回の記事の続きになります。

苦手な方はスルーでお願いいたします。


春の入院から帰ってきてからは
通院する事に。抗がん剤治療も正直
いい結果がどうしてもでない。なので
経口の抗がん剤に変えてみましょうと
いう事になりました。

3日連続お薬を飲むのですが、これがまた
もう次の日ぐらいから倦怠感や食欲不振
微熱など、下手したら次のお薬飲む1カ月
先まで具合が悪いままになる事もあり
夏頃だったかな?副作用での体の負担の
方がきついので、一旦中止しましょうと。
そして現状維持する為に、まずは食欲を
増やせるようなお薬を出してもらう事に。

この食欲増進させるお薬はすごく、今まで
にはありえないほどの食欲がでて、食べて
もすぐお腹空いたと言っていました。
その反面やはり、少し興奮するようで睡眠
が浅く、朝方早く、クローゼットの洋服の
整理しだして、転んで立てなくなったり
したので、少し弱いお薬に変えてもらう事に。

そうこうしながら秋頃。

お医者さんからはいつ何がおこってもおかしく
ない状態と言われ、特にコロナには気をつけて
くださいと。そして菌にも気をつけてください
とずっと言われていたので、お風呂はもちろん
一番湯。お手洗いも毎日除菌などで掃除。
台所も食品を扱うので、毎日時間さえあれば
掃除。洗面台もグランマが使うところ全て
掃除して、除菌に心かけるようにしていました。

そして10月ぐらいからは輸血を外来でする事も
多くなり、お医者さんから何度か『一度、
どうですか?入院なさいますか?』と言わ
れたのですがグランマは『大丈夫ですよ、先生。
まだ』と。

入院が嫌で仕方ないようで、先生も毎回
『じゃ、もう少しお家で頑張れそうですか?』
と返答。

入院中、同じ病気の方と知り合いになり
良くも悪くも色んな方の色々な情報を耳に
していたものだから、まだ歩けるから大丈夫。
まだ、外が明るく見えてるから大丈夫と言って
過ごしていました。

私には『世話かけてごめんね。でもね入院したら
会えなくなるし、入院したら帰ってこれない
気がする。携帯触れているうちはいいけど、でき
なくなったら、誰にも会えずに、病院の天井見て
過ごして死ぬのは嫌なの』と言っていました。

病気になってから10キロ以上落ちた体重も
お家で過ごして、何を作っても『おいしい!』って
食べてくれて2キロほどは戻っていたので
私自身も、そういいながら・・・後1年とか
もってくれるかな?と心の中で思っていました。

そして12月のあたま。病院にて再び先生に
『どうですか?劇的に何か変わるわけでもない
ですが、一度入院されませんか?』と言われるも
『嫌です』と笑いながら言うので、『ちょっと
でも思ったら言ってくださいね』と言われ、グランマ
は輸血に・・・。

そして、グランマが輸血始まってから、私が
先生に呼ばれました。

『一緒だとなかなか話が出来ないので』と。

『今の状態だと、気力だけで生きてらっしゃる状態
です。ご本人は入院が嫌だとおっしゃるのあるので
今はまだ病院にこられていますが、やはり歩けなく
なり動けなくなると思われます。何かあった時の為に
訪問の先生をつけて頂くのがいいかと思うので
手続きされてはと思いまして』というお話で
(それと、お家で亡くなった場合、訪問の先生など
いないとやはり警察がきたり大変だと言われました。
実際、親戚がお家で突然なくなり、大変だったのを
知っていたので、これはすぐに理解)

と言われ、えっ?まだ食べれてるし、話せるし
ゆっくりだけどお手洗いにもいけてるのに?
なぜ?なぜ?状態で。(いつかはと思っては
いてもそんなに急なの?と思ってしまいました)

そして先生に『年は越せそうですか?』と
聞くと『厳しいかと思います。奇跡的に生きて
らっしゃる状態です』と言われて。プチパニック
でした。

そこから病院の紹介で訪問の先生をお願い
して頂けるように依頼。そして介護保険の
方の申請もするように言われて。

グランマが輸血終わった後に、病院から
タクシーで帰宅後に、グランマに話を。
『あのね、もし、いつかは何があるか
わからないじゃない?入院嫌なのわかるし
お家になるべく居てほしいし、で先生と
相談したの。もし、急変してさ、救急車
呼んでも同じ病院にいけるかわからない
し、大きな病院の先生がきてくれるのは
不可能だから訪問の先生にきてもらって
おくのはどうか?って言われたの』と。

するとグランマは『先生、余命とか言って
いた?』とか言うので『そんな話はなかったよ
ただ、いつかの話』と話をしていたら、
『春までもつかな?』というので『いけるん
じゃない?』と言うと『そんな事言いながら夏
まで生きているかも』というものだから、『そう
だね、言いながら1年いけるかもよ』と励ましました。

その日のうちに弟に連絡。もう心張り裂けそうで
涙でるけど、グランマには見せれないし、涙がウル
っときた時は、目がなんか痛いわ~なんてごまかし
ながら。

弟はそれを聞いて、すぐに週末、ソラちゃん
連れて泊まりにくると言って。ちょうどソラちゃん
ママがお仕事で夜勤だったのもあり、グランマ
には『夜勤なので2人だから泊まりにくるらしい
よ』とだけ。ソラちゃんがきてくれてちょと
和みました。

そして、訪問の先生、訪問の看護師の方たち
が毎週くる事になり、大きな病院での予約が
ないとグランマが気づくので病院の先生には
次回の予約もお願いしていました。

でも・・・先生の言ったとおり・・・
前回の大きな病院受診後2日たったあたりから
ひどい下痢にみまわれて。次の週にも輸血
(貧血もひどかったので)だったのですが
行けずに、訪問の先生に相談。訪問の先生に
輸血をお願いすると検査してから次の日の
輸血になるので出来れば大きな病院ですぐその
日にしてもらう方がと言われていたのですが
あまりに下痢がひどく、この頃から痛みもきつく
なっていて。結局、お家で輸血する事に。

この頃は手のささくれから菌が入り右手も
すごく腫れていて。

『クリスマスは何するの?チキン焼くの?』と
聞くのだけど、そこ頃にはあまりの下痢のせいで
脱稿痔にもなり、皮膚はただれてひどい状況
になっていて。そして、訪問の先生から痛みを
取りのぞく為にきつい痛み止めの提案が。
本人はこれまた入院していた時のお友達から
それを使うと末期みたいに聞いていたので
したくないというけど、私の方からお願いしました。

そして、もうお手洗いにも15分ぐらいいる状態
になって、出れなくなって抱え込んだ事もある
のでお手洗いに行くのはやめてほしい。私が
替えるからと言うと、『私より、あなたの方が
疲れているはずなのに』と言うので『何言ってるの
若いから大丈夫』と言って、その後はお手洗いに
行かずに私が替える事に。

24日だったかな?いきなり玄関があいて
弟が、毎年クリスマスにはここって買って
いるチキンを買ってきてくれました。ソラちゃん
も一緒で、その頃には介護ベッドに横になって
いるグランマの横に行って何か話していました。

息子にはこの状況下は話しておかないと
と思い、もし、万が一の時は休めるのか?
上司にはちょっと話しておいてほしいと書くと
年末年始は忙しいから無理やで・・・と書いて
はきていたのですが、年末年始じゃないかも
しれないし、わからないけどいつかはその日が
くると伝えると、次の日に上司には言って
おいたとの返信。

その後、金曜日に仕事終わったら、帰ると
言うので、それはやめてほしいと。グランマは
そこまで悪くなっていると知らないから先月
帰ってきているのにまた急にあなたが帰ってくると
自分はもう駄目なのじゃないかと気力なくして
しまうから、気持ちはわかるけど、ちょっと連絡
待ってと書きました。

訪問の先生や訪問の看護師の方も年末も来て
くださる事になっていて。先生の方は年末きて
『今年は終わりです。来年またよろしくね』と
グランマに言ってはいたのですが、私には
『年末年始何かあった場合、ホスピスと
いうのもあるのですが、これすぐに入れる
ものではなく事前に登録が必要で。(通院
していた大きな病院)僕の方から連絡する事も
できますが』と言われたので『お家で』と即答
しました。

12月頭に言われた時に、グランマは最後どうしよう
もなくなったら入院するからと言っていたの
ですが、入院して1人でと聞いた時から家族全員
最期はお家で看取ってあげようと決めていたので。

そして年末・・・

また長くなったので次に続きます


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